「言葉は生き続けるからこそ嘘のないように生きたい」
ある人と出会ったり、ある人からの言葉を聞いたり、ある本と出会ったり
そのときはその意味がわからなくても自分の中で腑に落ちるタイミングってくる。
必要なときに必要な人と出会い、そのとき必要な言葉をいただき、自分の大切にしていることが見えたり、道が拓けるトキがくる。
同じ話を聞いたりしてもそのときそのときの自分のいるステップや自分の感情で言葉の受け取り方も変わってくることもある。
しつもんカンファレンスで登壇されていた編集者であるセソコマサユキさんの回(無理に広めるのではなく、ご縁の中で自然と広める)を視聴していて、
あのとき聞いてても心に残らなかった言葉が響いた。
「消費されるような情報ではなく、変わらない価値、ずっと残るような情報を発信することを心掛けている」
とセソコさんやミヒロさん、わかなさんはおっしゃっていて
なんて素敵な言葉なんだろうって思った。
わたしはよくそのときそのときの自分の感情や決断を大切にしたいから、
自分の中でなにかが腑に落ちた瞬間に頭を整理するために言葉にして発信をする。
そのとき自分の中にある材料で考え、決断を出すため、
生きていく中で新しい考えにまた出会いどんどん変化し続ける。
だから、自分の発信してきたことや自分の成し遂げてきたことがもういまのわたしの考えと変わっているかもしれないし、つづけていないこともよくある。
他の人から見たら
また言ってること変わってるよ、
やってること変わってるよ、
成し遂げてないじゃん
って見られるのが怖くて言葉にできない人もいるかもしれない。
でも、
自分がそのとき発した言葉や自分のストーリーにうそは一切ないんだ。
だから、一瞬で消費されてしまうような言葉たちをわたしは発しているつもりはない。
「わたしの人生、考え方、悩み、苦悩」を発信することが自分のためだけでなく、
それを通して、だれかの生き方のヒントになっていたり、だれかがなにかを決断するときの背中を押したり、発した言葉たちがだれかの居場所になるのであればそれは変わらない、消えない価値だとわたしは信じてる。
いつも関わってくださる、ミヒロさんやゆいさん、ハルさんのようにたくさんの生き方や考えを発信してきてくださった素敵な大人の方々がいるからわたしはいま自信を持って自分のありのままを発信することができる。
やっぱり、どこかで人って自分と似たようなことを聞くと安心するものだと思う。
自分と似たような考えを持っている人がいるんだって思ったら、
1人じゃないってわかったら勇気が出てくる。
もちろん自分の近くにいて、
自分の話を聞いてくれたり、
自分がなにを考えていようが、なにをしていようが
いつ帰っても受け入れてくれるような家族みたいな存在も大切。
それも一つの愛のかたちだと思う。
でもやっぱりわたしはどこかで自分のことをわかってもらいたいとか、
自分を理解してくれる人も必要で。
それはミヒロさんたちのしつもんカンファレンスでの対談からもそうだし、
本で出会うかもしれないし、
なんでもいいけど、
確証を持てたとたん自分の気持ちややっていることに対してやっとGoが出せる。
だから別に自慢したくて発信しているんじゃなくて、
だれかに自分の考えを公表することで
ここにあなたの仲間がいることを示したいんだと思う。
だれかの勇気の一部でありたいんだと思う。
そのだれかはわたしの知り合いじゃなかろうが、
顔も知らなかろうが
遠くにいようが関係ない。
言葉が与える影響ってそれだけあると思うし
わたしは言葉の可能性はすごいって思ってる。
だから今日もだれかの孤独感を救えるように
わたしは自分の葛藤も悩みも含めて全部を発信し続けたい。
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