毎回違う「書く」ことへの感動
自分がライターっていう言葉を使うことにずっと違和感があった。
だって書くことなんて得意じゃないし、むしろ他人も認めるほどへたくそだった。(特にお母さんには散々言われてた(笑))
そんな文章を書くことが苦手でとっても飽き性であるわたしが唯一継続できていることが
「書く」こと。
以前のしつもんカンファレンスでわかなさんが発言していた
「同じもの(同じものと言ってもそれ自体も変わり続けている)を見続けていてもそこに感動を見続けていく」
という言葉を聞いて、たしかにこれまで自分にとっての「書く」意味って同じものであるけれど感動ポイントが違くて、変化し続けているなぁってことに気が付いた。
自分にとって「書く」こととか「表現する」ってなんだろう。
自分ですらなにを考えているのかわからなず、ずっともやもやしていた休学のはじめのころは
「自分の考えを整理し、自分の考えていることを自分で知るため」
大阪へ移り住むといろんな人にどうして休学したのか、どうして無人島でイベントをやったのか、どうしてヒッチハイクをしたのか、いろんな質問をされた。
「自分の考えていることを他人へ理解してもらうため」
いろーんな人と出会うたびにいろんな生き方をしている人、いろんな考えを持っている人がいて素晴らしくて、感動してもっとみんなにも知ってほしいと思った。
「他人の考えていることをみんなへ伝えるため」
いろんな人と出会いながらだんだんと自分に合う、合わないを選別していき、自分の軸を見つけていった。
「他人の考えや経験を通して、自分の大切にしている価値観を届けるため」
「言葉を通して、自分自身を表現するため」
たった「書く」という行為がこれだけ自分の中で変化してたことに気づいた。
毎回毎回人の話や自分の考えていることに言葉を通して感動する。
伝えずにはいられないくらいの感動があってそれがあふれ出て言葉に載せて感動を発信する。
たくさんはいないかもしれないけれど、絶対にどこかで自分と似たようなことを考えている人がいるって信じて、今度はまた違った形で自分の「書く」ということを通して「言葉」を「表現」していきたい。
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