孤独を感じているときは階段を駆け上がっている証拠
最近久しぶりに記録しておきたいぐらいの出来事があったので、数か月ぶりに自分の心の内を文字にさらけ出してみようと思う。
先日、ある友人とお酒を飲んだ。
ほんとーーーーに久しぶりに自分が心から会話していると感じた。
どういうことかというと、
ここ半年以上誰とも言葉が通じない感覚があった。はじめの内は、まぁ仕方ないよね。
というか、元々通じない世界で生きてきたし。(ここ2年間ぐらい通じる人たちと出会えて関わっていたが、自分でその人達から離れる選択をした。)という気持ちでいたのだが、
やっぱり誰とも言葉が通じないというのは本当に寂しいもので、生きている心地がしなくなってくる。自分だけ感覚がおかしいのか、考えていることがおかしいのか。だんだんと自分で自分のことを信用できなくなってくる。そして寂しくなっては元いた場所の人たちに連絡をしてしまい、でもやっぱり違うな。という感覚になる。もとに戻ってはダメなんだ。と思い知らされる。
挙句の果てには、大学のころとっても仲が良かった人たちとも話が合わなくっていることを知り、本当に私はまたひとりになってしまった。
どうして、私は友達がいなくなっていくんだろう。SNSを見れば高校時代の知り合いが今でも仲がよさそうに見えるストーリーを投稿していたり、大学時代一緒に学生団体で働いていてた仲間も仲良さそうにしている。
どうして、私はこれまでの人たちと仲良しこよしができないのだろう。プライドが高すぎる自分がいけないのか、みんなが楽しそうに話している内容に対して笑えない自分がおかしいのか。自分を責めまくった。
「階段をあがっている最中は孤独なんだよ。」
何も話していないのに突然この言葉を言われた。
安心感からか涙が溢れそうになった。
その人は友人がバイトしているカフェのオーナーで、少ししかいれなかったが心が落ち着いたのを覚えている。
そして、それからは徐々に心が回復していった。そして最近2度ほどインタビューしたことのある男の子と飲みに行った。
びっくりするぐらい時間が経つのが早く感じるほど話が盛り上がった。
自分は間違っていないし、むしろ周りにどう思われようが、話が通じず孤独で苦しかろうが、何を言われようが自分の人生もっと攻めていきまくろう!!
そう思える時間だった。
きっと、会話するってこういうことだと思う。
会ったあとにポジティブな余韻が残ること。一瞬で打ち解けて無駄な言葉がなくても話が通じること。
よし、燃えてきたぞ―――――!!🔥
そしたら相手も似たようなことを思ってくれていたみたいで、相手も言葉に残してくれていた。それを読んでまた嬉しくなったのだ。
そしていろいろ書いていたら、タイトルの内容に一切触れられなくなってしまった(笑)
次またうまく言葉にできそうになったら書こう。
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